かおり風景100選・東北⑦
風の松原
300年前から植栽を続け、現在700万本といわれる黒松が生育しています。
松葉や土、潮のかおりが感じられ、朝夕のジョギング、散策や環境学習の場、キノコの採取など、地元の住民の生活に関わりが深いです。
各種団体による自主的な清掃活動に加え、平成13年3月には「風の松原に守られる人々の会」が中心となり、監視パトロールやガイドなどの活動が行われています。
所在地は秋田県能代市、かおりの源は松葉、土、潮、季節は春から秋にかけてとなっています。
(環境省:https://www.env.go.jp/air/kaori/ichiran.htm)
かおり風景100選とは?
2001年度に環境省が広く一般に呼びかけて選定し、紹介している全国各地の100事例です。
環境が嗅覚を通じて人に影響することについて、単に悪臭公害を防止することだけに着目するのではなく、日本の自然や伝統・文化に係わる「よいかおり」を保全することを通じて、環境の快適性を確保・創造することを目的としています。
環境省のHPを中心に、かおり風景100選に該当する自治体からの抜粋などを紹介させていただきます。
能代市の海岸沿いに連なる「風の松原」は日本最大の規模を誇る松林です。
東西幅1キロメートル、南北総延長14キロメートル。 面積は約760ヘクタールで、東京ドーム163個分もの大きさです。
厳しい海風による飛砂を防ぐために江戸時代から 植裁されてきたもので、いまや700万本もの見事な松林になりました。
風の松原はこれまで「能代海岸防砂林」または単に「砂防林」などと呼ばれ、 市民のレクリエーションの場として利用されてきましたが、近年全国的に類例のない規模の雄大さ、 すばらしい景観が見直され、内外から高い評価を受けるようになりました。
こうしたことから、この松原にふさわしい愛称を公募し、昭和62年12月から「風の松原」と 呼ぶことになりました。
「虹の松原」や「天橋立」など数ある松原の中で、ここ能代の「風の松原」が日本で一番大きい松原です。
風の松原には数々の功績があります。
かおり風景100選の他にも21世紀に残したい日本の自然100選、21世紀に引きつぎたい日本の名松100選、森林浴の森日本100選、21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松100選、日本の音風景100選などがあります。
(能代市HP:https://www.city.noshiro.lg.jp/res/kanko/views/shizen/1103)
江戸時代に植樹が始まった砂防林
越後屋太郎右衛門は、江戸時代の廻船問屋当主の襲名で、6代目が清助町から下浜までの砂防事業の「砂留普請」に着手したのが正徳元(1711)年とあります。
越後屋は、中世末期に秋田安東氏が能代町を開いてほどない元亀2(1571)年に鶴形から移り住んだ商人で、能代で最初の仲立役(問屋)に取り立てられる。
日本海側の物流拠点として発展する町の隆盛とともに財を築いた地元経済界の第一人者でした。
当時の能代では、強烈な海風に乗った飛砂によって人家や道路が埋まり、船着き場の機能が損なわれるなどの被害が発生していました。
経済活動や日常生活の大きな支障となっていた。砂防植林はまさに懸案だったのです。
私財を投じて
砂防植林は藩の事業としてではなく、民間の篤志家によって進められました。
藩には財政的な余裕がなく、越後屋には能代町の草創期から共に歩んできたという自負心があり、町のために私財を投じて砂防に取り組んだのだろうと推測されています。
越後屋と協力して正徳3年から砂防事業を担ったのが、能代の庄屋の越前屋久右衛門です。
越前屋は元禄16(1703)年、藩直轄の山林ビジネスにかかわる「御直山御用」に任ぜられるなど藩の御用商人として活動し、「上方・江戸御用懸り町人」として格別に扱われる商人でもあり、京都に邸を構え、貴族・冷泉家と交流もあったようです。
越後屋家では三代にわたり植林が続けられ、越前屋家でも遺志が引き継がれ、両家は莫大な私財を投じてクロマツを植栽しました。
民間人によって始まった植栽によって「風の松原」は誕生しました。
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