勤労感謝の日に
新嘗祭
新嘗祭(にいなめさい)は天神地祇すべての神々に収穫を感謝する儀礼です。
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。新嘗祭は天皇陛下がみずから神々をお祀りになる御親祭の1つです。
全国各地での収穫が終了する時期である11月23日に宮中三殿の神嘉殿(しんかでん)で天皇陛下によって執り行われ、自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親らもその新穀をお召し上がりになります。
伊勢神宮では、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りで、年間1500回に及ぶお祭りの中でも、最も重要なお祭りである神嘗祭で新穀が奉られます。
伊勢神宮では「神嘗祭」その他の神社では「新嘗祭」が行われます。
因みに全国の神社の数は8万6440社です。
実際には街角にひっそりと建っている神社や、家の中、企業の屋上などにも神社があったりします。
これらも含めたら14万社から15万社はあるのではないかと推測されています。
豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)
話は天孫降臨にまで遡ります。
天照大御神は御孫の瓊瓊杵尊を降して、この葦原中国を治めさせようとされました。
瓊瓊杵尊は猿田彦神を先導として八百万神を従え、高天原から天の八重棚雲を押し分けて九州日向の高千穂の峰に天降られたといいます。
これが天孫降臨です。
同時に、瓊瓊杵尊は、天上の清らかな稲を地上で作るように託されました。
そのことから、日本は昔から「豊葦原瑞穂国」といわれます。
これは豊かな収穫の続く、みずみずしい稲のできるすばらしい国という意味です。
因みに岐阜県瑞穂市があるのですが、その市の名前は 古事記や日本書紀に日本の国の美称として「豊葦原之瑞穂国」と地域に伝わる伝説である、倭姫命が天照大神を祀る地を求めて、美濃国の伊久良河宮(現在の瑞穂市居倉)にとどまり、その後、生津から川を下って伊勢に赴かれた話が伝えられていることに由来するそうです。
祈年祭
秋の新嘗祭が感謝のお祭りの位置づけであるならば、その対となる五穀豊穣を祈るお祀りが「祈年祭」になります。
祈年祭は「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。
農耕が生活の中心であった時代においては、稲の育成周期が1年としての考え方であり、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることを意味していました。
平安時代の『延喜神名式』によると、祈年祭は国家規模で執り行われ、伊勢神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛が奉られていた記録があります。
勤労感謝の日
五穀豊穣の感謝祭である新嘗祭は、とても大切な祭禮であることは言うまでもありません。
かつて神嘗祭は、第二次世界大戦前には国の大祭日とされていました。
「新嘗祭」として、作物の成果を神様に感謝していた祭日が、戦後1948年に転用されて勤労感謝の日になりました。
つまり現在では、新嘗祭の日が勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日としてとして祝日になっています。
国民の祝日に関する法律の条文には、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」とあります。
この条文が示す通り、勤労感謝の日とは、働くことや仕事そのものを大切な習慣として重んじ、働く人々の勤労に向けて感謝を示す日だということがわかります。
何故、新嘗祭の日という休日を勤労感謝の日に改めたのでしょうか?
それは、戦後の占領時代におけるGHQの考えが起因しています。GHQは宮中行事と国民行事を切り離す必要があると考えたからだと言われています。
新嘗祭の日は明治6年に旧暦から新暦に移行する際に制定された祝日です。
現在まで続く勤労感謝の日はいってみれば日本の祝日の中で最も長い伝統を持つ祝日のひとつだといえます。
感謝する気持ちを忘れずに日々を過ごして行きたいと思います。
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