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蘭奢待ものがたり ~権力を象徴する宝の香木~

蘭奢待の伝承

蘭奢待を巡っては、それぞれの時代背景に翻弄されながら香りを放ち続けてきたことになります。蘭奢待から香木が切り取られた跡は38ヵ所あり、同じ箇所を切り取られている可能性があることを考慮すると、50回以上は切り取られていると考えらるそうです。とりわけ、室町幕府8代将軍足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った跡には、付箋が付けられています。

今ではもっとも有名な沈香木としてその名を馳せる蘭奢待ですが、正倉院に納められた当初はさほど有名なものでなかったようです。しかし、正倉院に素晴らしい香木があるという話が、長い年月をかけて世間に広がり、歴代の天皇や将軍たちは手柄のあった者に対し、この香木を切り取って与えたことから、この香木を持つことが権力者にとってのステータスとなり、やがて「蘭奢待を持つ者=天下人」であるという伝説が生まれました。

蘭奢待

 

 

権力の象徴

73代堀河天皇の頃、毎晩何かに怯え、うなされるようになったことがあり、源氏の棟梁であった源義家が弓の弦を3度鳴らして病魔を退散させたそうです。
しかし、平安時代末期になって76代近衛天皇にも同様なことが起こったため、先例に習い、天皇に憑いた病魔を退散させるため、白羽の矢が立ったのが源頼政でした。
ある夜、頼政が見回っていると、頭上に黒雲がたちこめ、頭は猿、胴は狸、尾は蛇(くちなわ)の怪物「鵺(ぬえ)」が現れました。頼政が鵺に向かい矢を放つと、みごと的中し、鵺を退治します。この褒美として近衛天皇は頼政に「獅子王(ししおう)」という太刀と同時に蘭奢待も与えたといわれています。

 

 

卓越したプロパガンダ

この伝説を大々的に喧伝し利用したのが織田信長で、信長は足利義政が切り取った部分の隣に、それも義政が切り取ったのと同じような大きさと形で蘭奢待を切り取ったと言います。1574年(天正2年)3月の事でした。
織田信長は宿敵・浅井・朝倉を滅ぼし、敵対する足利義昭を追放し、室町幕府も滅亡させ、武田信玄は病に潰えていたため向うところ敵なしの状態、更に信長は天皇を超える存在、神になろうとしており、蘭奢待を切り取り、正親町天皇さえも威圧することで織田信長こそが天下を取ったと世に知らしめました。
信長は東大寺に使者を送り「正倉院に伝わる霊宝・蘭奢待を見たい」と伝えます。東大寺は、「勅使がないと蘭奢待は、開封できない慣例」と断りますが、信長は天皇の許可を取りつけ、奈良に押しかけ多門山に宿泊し「蘭奢待を見たい」と再度の要請をします。さらに、信長は朝廷に蘭奢待を差し出すよう命じて「一方は天皇に献上し、もう一方は自分が使う」と威圧しました。
断れば、比叡山のように焼討ち(1571年)されるかも知れず、恐怖で震え上がった東大寺は蘭奢待を信長に差し出し、信長は蘭奢待を無造作に切取って持ち帰ったそうです。
「信長公記」によると、城に持ち帰った蘭奢待を「末代の物語に拝見しておけ」と家臣達に披露し、また、相国寺で開催された茶会で千利休や多くの客の目前で焚いたとも言われています。
切り取った蘭奢待の一部は正親町天皇に献上され、正親町天皇はその一部を元関白の九条稙通(くじょうたねみち)に贈りました。

そこに添付された手紙には、強引な信長の要請に応じざるを得なかった無念が伝わる「蘭奢待の香り 近きは伏せられ候。このたび不慮に勅封をひらかれ」と綴られていたそうです。

 

 

価値あるもの

明治時代、明治天皇が正倉院を訪れたときには、蘭奢待から切り取らせた木片を火で焚き、「薫烟芳芬くんえんほうぶんとして行宮あんぐうに満ちた」と伝わります。
私たちが蘭奢待の香りを体験することはできませんが、こうしたエピソードから優雅な香りを想像すると楽しいですね。

 

さて、先の、源頼政が賜った蘭奢待はどうなったのでしょうか?

徳川家ゆかりの品々を展示する名古屋の「徳川美術館」には、頼政から伝承したとされる蘭奢待の一部が収蔵されています。由緒書きによると、頼政が賜った蘭奢待は大田道灌(おおたどうかん)の手に渡り、江戸時代のはじめには2代将軍徳川秀忠の娘、東福門院和子が所有していました。その後、香道の流派である志野流のもとにあったが、1754年(宝暦4年)に尾張徳川家に献上されたと言われています。
徳川家康の時代、伽羅の値段が次のように記録されているそうです。「銀20貫(400両)で、伽羅100斤を入手した」一斤は660gに相当するため、1両で伽羅165gの価値があったとされます。ちなみに、徳川家康は信長の最期を想い、不吉なことが起こると考えて、切り取らなかったと言われています。

 

優雅な香りに思いをはせて

銘香“蘭奢侍”は、時の権力の象徴として数々の逸話を作り出しました。
天下の名香というのですから、時代は大きく流れていますが、未だ黒い樹脂状の香木からは豊かな香りが漂っていることでしょう。将来の日本において、蘭奢待が切り取られるようなことはないと思いますが、天下人だけが、楽しめるなんと贅沢で優雅な香りをどんな気分だったんでしょうか?

 

 


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