「四神」と「陰陽」と「五行説」①【四神について】
四神相応
「四神相応(しじんそうおう)」は、古来中国から伝わった風水の一種です。
前1世紀頃の古代中国の経書「礼記」曲礼篇上に「朱鳥を前にして玄武を後にし、青龍を左にして白虎を右にし、招搖上に在り」 と記されています。
日本では、「続日本紀」の大宝元年(701)正月元日の条に、
「朝賀の儀式に烏形の幢(どう)、左に日像(にっしょう)・青竜・朱雀の幡(ばん)、右に月像(げっしょう)・玄武・白虎の幡が立てられた」
ということが記されています。
四神の成り立ちは、天文学がきっかけとされています。
古代中国に生まれた「易(えき)」という占い方法には自然界を象徴する「八卦(はっけ)」という図象を使用します。
この八卦を生ずる前には「四象(ししょう)」と呼ばれる考え方があり、そこに四象を当てはめ、東方を「少陽(しょうよう)」、南方を「太陽(たいよう)」、西方を「少陰(しょういん)」、北方を「太陰(たいいん)」とされています。
この四象を具体的にイメージしやすくしたもの。
それが「四神」と言われています。
東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武という四神獣がそれぞれ天の四方の方角を守っているといわれ、四神獣を配した土地は風水では最良の地とされ、邪気を遮断し福禄・無病・長寿などの幸せを呼び込むと言われています。
大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相を意味する言葉が「四神相応」です。
この様な場所はどこにあるかと言うと…
平城京の遷都にあってはこの考え方が取り入れられたとされています。
賀茂川(蒼龍)、巨掠池(朱雀)、山陽道(白虎)、舟岡山(玄武)に鎮護されています。
同様に、江戸の町の造成にも、風水四神獣の考え方に沿って、建都されたと言われています。
また、四神は方位のほか、四季では「春・夏・秋・冬」、一日では「朝・昼・暮・夜」、色としては「青・赤・白・黒」があてられています。
東の青龍
東の青龍は、東の河川に住み太陽の昇る東方を守ることから、金運を呼び込み商売繁盛をもたらすとされています。
また「龍」は龍神とあがめられているように、とてもパワフルなので災いを振り払って成功、勝利をもたらしてくれます。
南の朱雀
南の朱雀は、5色の羽を持ち、火を操る美しい鳥といわれる不死鳥です。
南の低地に溜まる大きな池に降り立ち、その大きな翼で、降りかかる災いや悪霊を追い払い、幸福と家運繁栄をもたらします。
また人気運にも関係があるので恋愛が成就するともいわれます。
西の白虎
西の白虎は太陽の沈む西方を守る後門の守護神。
西の道を走り、睨みを利かせて邪気を遠ざけ、幸せを呼び込むとされています。
中国では虎は百獣の王と伝えられ、虎が500年生き抜くと霊力を得て白虎になるとされているので、白虎は特別な神と考えられています。
北の玄武
北の玄武は北の大地にある大きな山で逆風の盾となり、繁栄と長寿をもたらすとされています。
玄武は硬い甲羅を持つ亀と、それにまとわりついた蛇が一体となった姿をしていることから、力強く運を切り拓いて繁栄するといわれています。
四神の成り立ち
四神の成り立ちは、中国の天文学がきっかけで、「八卦」と「四象」という考え方があり、東「少陽(しょうよう)」、南「太陽(たいよう)」、西方を「少陰(しょういん)」、北方を「太陰(たいいん)」とする「四象」に「四神」を当てはめたことは先に触れたとおりです。
四神の姿は「二十八宿(にじゅうはっしゅく)」が元になっているようです。
二十八宿には「星官(せいかん)」と呼ばれる星座があり、四方に合わせて七宿ごとに分け、それぞれの七宿の星座を繋げた形が「龍」「鳥」「虎」「亀」に見立てられたからです。
本当に、太古の人には見上げた空に「動物」の姿が見えたのではないかと思います。
この動物に「五行思想(ごぎょうしそう)」の方角の色が重なって「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」となったと言われています。
四神を束ねる存在
方角を守る四神ですが五行思想に当てはめると、一つ当てはまるものがなく、余ってしまいます。
五行思想においては四神の長ともいえる存在として『黄竜(こうりゅう)』と呼ばれる黄色(金色)の竜が存在しています。
古代中国では黄色は皇帝の色であり、高貴な色とされ、方角としては中心を司っています。
黄竜の他にも「麒麟(きりん)」を当てはめることもあります。
麒麟は良い政治をする王が生まれた時に現れると言われています。
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