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安倍晴明神社と葛乃葉(くずのは)伝説

大阪・阿倍野 安倍晴明神社

大阪の安倍晴明神社に行ってきました。

安倍晴明の出身地とされている場所です。

晴明は阿倍野の豪族だった安倍保名(あべのやすな)と白狐の化身・葛の葉の子といわれ、境内には白狐の像と晴明公の銅像が立っています。

安倍晴明神社 

銅像の傍らには白狐が。

小ぢんまりとしていながらも、清らかな空気であふれる神社でした。

 

以下は神社のHPからの引用です。
『葛乃葉(くずのは)伝説』によると、晴明の父、安倍保名は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされています。
いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の信田明神にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。
狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになるのです。

晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社の記録としても残っています。

安倍晴明神社に伝わる『安倍晴明宮御社伝書』には、安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祭らせることを晴明の子孫に命じ、亡くなって二年後の寛弘四年(1007年)に完成したのが、安倍晴明神社であると記載されています。

 

 

葛の葉の正体

葛の葉の正体が白狐であることが発覚した時に、障子に葛の葉が書き残した歌「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、あまりにも有名です。

この一文は、正体を知られて去らなければならない母親が、息子に書き残した歌です。

保名と葛の葉が暮らすようになり6年目のある秋の日、葛の葉は、庭に咲く美しい菊に心をうばわれ、自分が狐であることをつい忘れ、うっかり正体のしっぽをだしていました。
童子にその正体を見つけられた葛の葉は、ともに暮らすのもこれまでと、一首を詠み残して信太の森へと去っていきました。
保名と童子は、母を求めて信太の森を探し歩きました。森の奥深くまできたとき、保名がふと振り向くと、一匹 の狐が涙を流してじっと二人を見つめていました。
はっと気がついた保名は、

「その姿では子どもが怖がる、もとの葛の葉なっておくれ。」

保名の声に、狐は傍らの池に自分の姿を映したかと思うとたちまち葛の葉の姿となりました。
「わたしは、この森に住む白狐です、危ない命を助けられたやさしさにひかれ、今まで、お仕えさせていただきました。

ひとたび狐にもどった以上、もはや、人間の世界にはもどれません。」

と、とりすがる童子を諭しながら、形見に白い玉と箱を与え、最後の別れをおしみつつ、ふたたび狐の姿となつて森の奥へと消えていきました。

このようなあらすじで、文学作品や・歌舞伎・浄瑠璃・などで人気を博した物語です。

 

信太の森

清少納言は、「枕草子」で「森は信太の森」と日本の森の代表にあげました。
また、熊野参拝の賑わいとともに、平安・鎌倉の都人たちは競って歌枕に信太の森を詠みました。

信太の森はどこにあったのでしょうか。葛の葉神社の森との説と聖神社の森だという説もあるようです。

 

安倍晴明神社でおみくじを引きました。大吉でした(#^^#)

 

安倍晴明神社

地元の方々の手によって大切に守られている神社だと感じました。

短い滞在時間でしたがその間にも地域の方々が次々と参拝にいらっしゃいました。

 

阿倍晴明神社

〒545-0034 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5−16

神社HP

 


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