かおり風景100選・東北④【盛岡の南部煎餅】
2001年度に環境省が広く一般に呼びかけて選定し、紹介している全国各地の100事例をご紹介します。
環境が嗅覚を通じて人に影響することについて、単に悪臭公害を防止することだけに着目するのではなく、日本の自然や伝統・文化に係わる「よいかおり」を保全することを通じて、環境の快適性を確保・創造することを目的としています。
環境省のHPを中心に、かおり風景100選に該当する自治体からの抜粋などを紹介させていただきます。
盛岡の南部煎餅
盛岡を代表する南部煎餅の焼き上がる香ばしい香りが店先で感じられ、南部煎餅をもとめ多くの観光客が訪れる。盛岡の昔の面影が残る紺屋町にある建物の一部は市の保存建築物に指定されている。所在地は宮城県盛岡市、香りの源は南部煎餅、一年中楽しめます。
(環境省:https://www.env.go.jp/air/kaori/ichiran.htm)
南部煎餅
南部煎餅(なんぶせんべい)は、小麦粉を原料にした煎餅の一種。
南部領の領民がそばや大麦を主原料として、それぞれの家で平たく焼いて食べていたという。
水分が少なく保存がきくため、南部藩の野戦食だったという説もある。
南部藩主の居城が三戸にあった時代は県北や八戸が盛んだったが、南部藩主が盛岡に居を構えてからは盛岡地方に広まり、多くつくられるようになった。
青森県、岩手県全域が主な生産・消費地で、同地域の名物となっている。
小麦粉を水で練って円形の型に入れて堅く焼いて作られる。
縁に「みみ」と呼ばれる薄くカリッとした部分があるのが特徴。
保存性は非常によいが、時間が経過すると酸化により味が落ちる。
個包装の商品も存在するが、通常は10 – 20枚程度を1つの袋に入れた簡素なものが多い。青森、岩手の旧南部氏支配地域においては非常にポピュラーな食べ物であり、来客にも供される。
その由来には諸説あるものの、一般的には「長慶天皇創始説」が広く知られている。
南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉と胡麻を手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出した。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとする説である。
さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。
現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。
昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。(Wikipediaより)
盛岡の手仕事を知る紺屋(こんや)町
鉈屋町に並ぶ盛岡の古い町並みが残るのが中津川沿いの紺屋町です。
紺屋町の入口には盛岡のシンボル「旧岩手銀行」が。
東京駅を設計した辰野金吾によるもので、東北唯一の辰野作品となっています。
旧岩手銀行 赤レンガが印象的な建築物です
その裏手の紺屋町の通には、盛岡の老舗、名店があります。
代表は「ござ九」です。
江戸時代から灯心や藁加工品の問屋として栄えた商家で、現在も藁で造った日用品などを取り扱っています。
その向かいには南部鉄器の名店「釜定」や南部紫染の老舗「草紫堂」が並びます。南部藩の時代から続く伝統の手仕事を訪ねることができます。
(ワールド航空サービスHP:https://www.wastours.jp/)
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